財産分与の基準時とは
離婚に際して夫婦の財産をどのように分けるか、そしてどの時点の財産を分与の対象とするのかという問題は、多くの方が直面する重要な課題です。特に長期間の別居を経て離婚に至るケースでは、「財産分与の基準時」が大きな争点となることがあります。
基準時とは、簡単に言えば「どの時点の財産を分与の対象とするか」を決める基準となる時点のことです。一般的には、夫婦の共同生活が実質的に終了した「別居時」が基準時となることが多いですが、事案によっては「離婚調停申立時」や「離婚成立時」など、異なる時点が基準時として認められることもあります。そして、この基準時の設定によって財産分与の金額が大きく変わることもあるため、非常に重要な問題となっています。
本コラムでは、別居から15年という長期間を経て離婚調停が申し立てられ、財産分与の基準時が争われた実例を紹介しながら、基準時についての考え方や判断基準について解説していきます。
財産分与の基本的な考え方
財産分与は、主に「清算的財産分与」「扶養的財産分与」「慰謝料的財産分与」の三つの性質を持つと考えられています。このうち最も基本となるのが「清算的財産分与」です。
清算的財産分与とは、夫婦が婚姻生活中に協力して形成した財産を、その貢献度に応じて公平に分配するという考え方です。つまり、夫婦の共同生活によって築き上げた財産を、離婚に際して清算するという性質を持っています。したがって、夫婦の共同生活が実質的に終了した時点、すなわち別居時が基準時となることが一般的です。
これは名古屋高裁の平成21年5月28日判決でも「清算的財産分与は、夫婦の共同生活により形成した財産を、その寄与の度合いに応じて分配することを、内容とするものであるから、離婚前に夫婦が別居した場合には、特段の事情がない限り、別居時の財産を基準にしてこれを行なうべき」と述べられています。
しかし、この「特段の事情」をどう解釈するかによって、基準時が変わることがあります。そこで次に、基準時が問題となるケースについて見ていきましょう。
基準時が問題となるケース
基準時が問題となるものとして、別居後も夫婦間で何らかの協力関係が継続しているケースがあります。
例えば、別居後もしばらく一方が家計を管理し続けていたり、子どもの養育に関して協力関係が続いていたりする場合には、実質的な夫婦関係が完全に終了したとは言えないため、別居時ではなく、その協力関係が終了した時点を基準時とすべきという考え方があります。
また、別居後に未成熟子の養育を一方が担っている場合も問題となります。『離婚に伴う財産分与―裁判官の視点にみる分与の実務―』(松本哲泓著)によれば、「別居後、幼い未成熟子の監護を一方に任せっきりにした場合、監護を他方に委ねた者は、労働者であれば休まずに勤務を続けることができるわけで、反面、子を監護する側は、その監護のために、経済活動の制約を受ける。この点を全く考慮しないことは、公平に反する場合がある」とされています。
さらに、別居期間が非常に長期にわたる場合も、基準時の設定が難しくなります。特に今回紹介する事例のように、別居から15年という長期間を経て離婚調停が申し立てられたケースでは、どの時点を基準時とするかによって財産分与の内容が大きく異なることになります。
別居15年後の離婚調停と財産分与の争い
それでは、別居から15年後に離婚調停が申し立てられた実際の事例について見ていきましょう。この事例では、財産分与の基準時をめぐって争われました。
事案の概要
本事例は、夫婦が別居してから15年後に離婚調停が申し立てられたケースです。この間、一般的な別居とは異なり、夫は高い頻度で妻の住む自宅を訪れていました。また、別居後も夫婦と子どもで旅行に行ったり、妻および子どもが住む自宅を新築したりするなど、長期間の別居にもかかわらず、夫婦間の関係が一定程度継続していると考えられる事実関係がありました。
こうした事実関係のもとで、離婚調停が申し立てられ、財産分与について協議することになりましたが、基準時について夫婦の主張が大きく食い違い、争点となりました。
当事者の主張
この事例では、夫側は「別居時」を財産分与の基準時とすべきだと主張しました。これは一般的な考え方に沿ったものであり、夫婦の共同生活が実質的に終了した時点である別居時を基準として財産を分与すべきという主張です。
一方、妻側は「離婚調停申立時」を財産分与の基準時とすべきだと主張しました。その理由としては、別居後も夫が頻繁に自宅を訪れていたこと、家族での旅行があったこと、自宅の新築があったことなど、夫婦関係が一定程度継続していたことを挙げています。
このように、当事者間で基準時についての主張が真っ向から対立する状況となりました。
基準時に関する法的見解と裁判例
名古屋高裁判決にみる基準時の考え方
先述した名古屋高裁の平成21年5月28日判決では、「清算的財産分与は、夫婦の共同生活により形成した財産を、その寄与の度合いに応じて分配することを、内容とするものであるから、離婚前に夫婦が別居した場合には、特段の事情がない限り、別居時の財産を基準にしてこれを行なうべき」とされています。
この判決は、別居時を基準とすることが原則であることを示していますが、同時に「特段の事情」がある場合には例外が認められることも示唆しています。ここでいう「特段の事情」とは、別居後も夫婦の協力関係が実質的に継続しているなどの事情を指すと考えられます。
別居後も関係が継続するケースの扱い
別居後も夫婦間の関係が一定程度継続するケースについては、いくつかの文献や裁判例で考え方が示されています。
『2分の1ルールだけでは解決できない 財産分与額算定・処理事例集』(森公任、森元みのり著)では、「別居後もしばらく妻が家計を管理し、後に婚姻費用を送金するようになった事案において、婚姻費用を支払うようになった時点(夫婦の経済生活が別になったする時点)を財産分与の基準時とした」という事例(平成24年1月さいたま家裁判決)が紹介されています。これは、夫婦の経済的な協力関係が実質的に終了した時点を基準時とする考え方です。
また、『離婚に伴う財産分与―裁判官の視点にみる分与の実務―』(松本哲泓著)では、「別居後に他方配偶者の財産形成に寄与した場合は、別居時を基準時とした上で、別居時の寄与を考慮する方法をとることとなるが、財産形成への寄与が大きいときは、協力関係が終わっていないとして基準時をずらすことも考えられる」と述べられています。
これらの文献からわかるように、別居後も夫婦間の協力関係や寄与が続いている場合には、単純に別居時を基準時とするのではなく、実質的な協力関係が終了した時点や、状況に応じて別の時点を基準時とする柔軟な対応が求められることがあります。
本事例における裁判所の対応
両時点の財産開示要求
裁判実務では、当事者が異なる基準日を主張する場合、双方の主張する基準日の財産を開示するよう求めることが一般的です。また、当事者の主張する基準日がいずれも極端と感じられる事案では、判決で二者択一になることを避けるため、求釈明を通じて第三の基準日を設けるなどの対応をとることもあります。
本事例でも、裁判所は夫側の主張する「別居時」と妻側の主張する「離婚調停申立時」の両方の財産分与対象表の作成を求めました。しかし、第三の基準時の財産の開示を求められませんでした。これは、いずれかの主張を採用する可能性が高いことを示唆しているとも考えられました。
そのため、もし裁判所が「別居時点(あるいは別居に近い時期)を基準時とする」判決を出されるリスクも考慮し、和解での解決を検討することになりました。
裁判所提示の和解案
このような状況のもと、裁判所からは次のような和解案が提示されました。
「基準日について争いがあり、現在の証拠上は確たることはいえないとしつつ、原告主張(別居時)の基準日として財産を評価し、その上で和解上調整を加える」
つまり、裁判所は基準時について明確な判断を示さないまま、まずは夫側の主張する別居時を基準として財産を評価し、それを踏まえた上で和解による調整を図るという方針を示したのです。これは、裁判所が証拠上の制約から明確な判断を下しがたいと考えていることを示すとともに、和解による解決を促す意図も含まれていたと考えられます。
最終的な解決と教訓
和解の内容
結果として、本事例では和解が成立し、妻は和解金として一定額(具体的な金額は非公開)と妻名義の預金を取得することになりました。一方で、自宅については明け渡すことになりました。
注目すべきは、妻側が離婚調停申立時を基準時と主張したこと、そして裁判所が「基準日について争いがあり、現在の証拠上は確たることはいえない」と明示したことから、一般的な基準時である別居時を基準とした場合よりも多くの金額を得ることができたという点です。
この事例から学ぶこと
まず、財産分与の基準時は画一的に決まるものではなく、個々の事案における夫婦関係の実態や協力関係の継続状況などによって柔軟に判断されるということです。特に別居後も何らかの形で夫婦間の協力関係や交流が続いている場合には、単純に別居時を基準時とするのではなく、実質的な協力関係が終了した時点を基準時とする可能性があります。
また、裁判実務においては、当事者の主張が対立する場合、裁判所が第三の選択肢を模索することもあるため、極端な主張ではなく、証拠に基づいた合理的な主張をすることが重要です。
さらに、和解による解決も一つの重要な選択肢であり、本事例のように、裁判所が明確な判断を示さない状況でも、適切な交渉によって当事者にとって納得のいく解決を図ることができる可能性があります。
まとめ
財産分与の基準時をめぐる問題は、特に長期間の別居を経て離婚に至るケースにおいて重要な争点となります。本事例では、別居後も夫婦間の関係が一定程度継続していたという特殊な状況のもと、基準時について夫婦間で対立が生じました。しかし、裁判所は「現在の証拠上は確たることはいえない」としながらも、和解による解決を提示し、最終的には妻側にとって一般的な別居時基準よりも有利な条件で和解が成立しました。
このように、財産分与の基準時は画一的に決まるものではなく、個々の事案における夫婦関係の実態や協力関係の継続状況などによって柔軟に判断されます。また、当事者間で基準時について対立がある場合には、証拠に基づいた合理的な主張を行い、必要に応じて和解による解決も視野に入れることが重要です。さらに、裁判実務においては、当事者の提出する財産分与対象表の内容や、裁判所の対応からも今後の見通しを検討することが可能です。
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